2022.11.26『心のふれあいと人権尊重のつどい~津軽三味線発祥の歴史&演奏』
今日は、岩野田公民館にて演奏させていただきました~!
岩野田地域人権推進委員会の「人権講座」としてご依頼をいただきました。
多くの皆さんが熱心に聴いてくださり、盛大な拍手をいただきました!
津軽三味線の歴史:発祥~盲目の芸人たちの活躍~新しいジャンルの音楽~
お話をしながら、演奏を聴いていただきました!
江戸時代には「当道座」という盲目の人たちを保護する制度が政府管轄の制度があり、
箏、三味線、尺八は、盲目の人たちに限り演奏を許されていました。また、鍼・灸・
マッサージの職業も盲目の人たちに特権として守られていました。
やがて、明治時代になると「当道座」が廃止され、誰でも演奏できるようになり、
多くの晴眼者によって演奏されるようになりました。盲目の芸人たちは、旅芸人として
流れ流れて東北の地にたどり着き、門付け芸や、御座敷芸で生計を立てるようになりました。
やがて、晴眼者の芸人たちと園芸団を組んで、北海道に出稼ぎにいくようになりました。
お客様に喜んでもらい、お金を稼ぐために、苦労に苦労を重ね、技術を磨きました。
こうして生まれた新しい三味線は、やがて多くの人の心を感動させる演奏を生み出し、
更に発展していき、やがて新しいジャンルの三味線=津軽三味線が誕生しました。
今や、日本中に、いや世界中に演奏家が誕生し、更に新しい音楽を生み出しています。
盲目の女性芸人たち(ごぜさん)のことを唄った「流れて津軽」という演歌も
聞いてもらいました!里奏の三味線伴奏も入れて、里奏会の演歌歌手が心を込めて
歌いました~! 「よされよされ~と~~♪流れて津軽~~♪~~」
私達は、目に障碍のある三味線演奏家達の血の滲むような努力や、命をかけた労苦に
感謝し、日本の伝統芸能として継承していきたいと思っています。また、これからも
新しいコラボにもチャレンジして、津軽三味線の始祖と言われている「仁太坊」さんの
教えに従い「自分の三味線」を追求していきたいと思っています。
大変良かったです~!と喜んでくださり、皆さんにこにこ笑顔でお帰りになりました!
今日も充実した演奏させていただき、感謝感謝です~。ありがとうございました!
終了後、近くのお寿司屋さんで寿司ランチをいただき、みんな満足満腹!!