2015年1月6日
今日は、FM watch の『我が人生・心の歌』にご出演いただく方の収録日です。
昨日、プロモーターの吉田さんからお電話をいただき、新年のご挨拶をすると、
「楠木正成公の御子孫の方々が、東京と大津からいらっしゃるので、
是非同席してほしい。」と、頼まれました。いささか急なことではありましたが、
わざわざ遠路お越しくださるとのことなので、何かお役に立てるなら・・・と思い
FM watch に出向きました。
10時少し前にスタジオに入ると、ネクタイにスーツの紳士と色白の京美人が、
吉田さんと秋山さんと打ち合わせ中でした。吉田さんにご紹介いただき、
名刺を交わしました。
紳士は楠木正成の長男の御子孫で、今日美人は三男の御子孫だそうです。
岐阜の伊自良にご夫人のお墓があると聞き及んで、お墓参りに来られ、
そのご縁で FM watch にご出演いただくことになったとのことです。
名刺によると、紳士は楠本忠正という方で、「生長の家」の情報システム部、
同課課長補佐を務められて、東京にお住まいです。
見るからに清楚な出で立ちで、上に立つ者の風格がおありです。
色白の京美人は、湊川神社・楠木同族会の方で、初田弘枝という方です。
大津市にお住まいで、茶道・表千家教授者を務めていらっしゃる品の良い
美しい方です。
収録に参加しない3人の方と、近所の喫茶店に移動して、
収録が終わるまで待つことにしました。
このお3方達もユニークな方々で、そのお一人からいただいた名刺に
「日本文化を守る会・・・武家の里」の村人:森小左衛門と書かれてあり、
江戸時代の人の名前みたい~と思ったら、何と220歳だとおっしゃる。
・・・・現在生きていたら、220歳になる先代の方のお名前を、今日まで、
受け継いでいらっしゃるのだそうです。
お2人目は、この森小左衛門さんのお仲間で不動産のお仕事をされていて
資産運用コンサルタントもしてみえるとのことでした。
そして、もうおひと方が今回のご来賓方を呼び寄せた張本人で、伊自良湖畔で
「ニューいじら湖荘」を営み、コックもしている方で、「楠木正成公久子夫人の墓」を
お守りしておられる、藤田力弥という興味深い方です。
藤田力弥さんは、ご自分で「楠木正成公久子夫人」に関する本を
出版されていて、ご本人も楠木一族の末裔と信じておられるようです。
放送の収録が終わるまで、色々と興味深いお話をしてくださり、
次から次へと話が尽きず、アッという間に1時間が過ぎてしまいました。
歴史に疎い私ですので、皆さんのお話についていける様に、実は、
昨夜インターネットのウィキペディアで「楠木正成」を調べておきました。
楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに活躍。尊氏の反抗後は南朝側の
一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。
鎌倉幕府からは「悪党」と呼ばれた。
後醍醐天皇の側近として、名和長年、結城親光、千種忠顕らとともに「三木一草」と
呼ばれた。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)と称され、明治13年には正一位を追贈された。
・・・・と書かれてあります。
天皇に忠義を尽くし、国のために命を捧げた忠君の権化のような人・・・という
イメージはありましたが、詳しくは全く存じ上げなかったので、興味深く読み進み、
700年も前の歴史上の人物の生き様を少々垣間見ることができました。
そんな浅薄な知識しかない私が、楠木正成公の御子孫の方々にお会いして、
色々なお話を聞くにつれ、遠い過去の歴史上の人物が現実味を帯びた
一人の人間として、私の中で蘇った気がしました。
この御子孫の方々にとって、楠木正成公はご先祖様であり、血の繋がった一族で
あるという意識が、今でも有るということに感慨深いものを感じました。
それはまた、楠木正成公がそれほど尊敬される生き方をされたという証でも
あるのでしょう。そして、その血族の方々によって大切に受け継がれていることが
素晴らしいことだと思いました。
日本国の天下統一のために、戦国武将達が争い、おそらく平和を求めて
模索していた時代に、国の為に命を捧げて戦った一武将とその一族の歴史が
今また新たに紐解かれようとしていることにもまた深く感動しました。
その夫人の墓が岐阜県山県市にある伊自良湖の近くにあるということで、
岐阜とのご縁が今回の FM watch の放送に繋がったのです。
歴史に疎い私にこんなに歴史に興味を持たせてくれるほどの魅力ある方々の
お話です。1月18日(日)10時半からです。是非、聞いてみてくださいね。
青森の民謡にこんな歌詞の唄があることを思い出しました。
「日本一の数え歌」です。
ハァーでは1つとせェー
人さんも見上げる楠の木がエエー
忠義の二字は四十七士
君に忠義は楠木親子が日本一ジャエー